劇団カタコンベ「景 02 ついた嘘 つかずにおいた嘘を載せ 肺の秤が釣り合う痛み」をみて。雑記なのでそのつもりで読んでください。

2018/6/8 B ケイ:小山由美子 サヤ:つさきまどか

2018/6/9 Aケイ:熊倉静 サヤ:小熊香織

 

 

 

「景02 」を2バージョンともみてきた。ダブルキャストだったのだけれど先に見たBチームと、台本を読んでから観劇したAチームの違いについて書いてみたい(台本を読んでから観劇した分だけ理解度はABチームで随分違うとも思いますが……)。

 近年のトナカイさんのホンは俺の中では「少女趣味」という言葉がしっくりくる。感激後いつも未成熟で儚いイメージが脳裏に残るといった意味で使ってる言葉なのだけれど、実際はトナカイさんの中で完熟した美しい世界観。竹宮恵子のマンガが頭をよぎったしなぁ。

 大体、途中で物語を語っている主体が何なのかわからなくなっていくホンなのだから、記憶とか残像とか風景とか幽霊とか音楽とかそういった形にならないイメージが主役になっていくのは当然のことだ。とおもう

 

 少女趣味、といった意味で直感的に、20代の女優が演じることで世界観を浮き彫りにできるホンなのではないか?と思った。Aチームは有利だなと。登場人物はみな若い(彼女たちが暮らしている場所には年代物の建造物が多く出てきて人物の未成熟さとのコントラストが美しい)。その記憶や思考回路は若くて未成熟なままなのだ。20代の女優さんが帯びている生理的な生々しさをもって語られることで、停止した(あるいは循環し続ける)記憶が濃度を増す仕組みなのだから。

 Bチームは見た目にも成熟した感のある女優さんたちによって演じられた。良い悪いではなくて、「いや、もう、少年少女の恋心とか世界の不条理とかそんなンしょうがないってある程度受け入れとる年齢やろ」と俺の中の関西弁がうずいてしまうんや...! 

 方やAチームは見た目が若い。声も若い。そんな彼女たちが奇妙な歳の重ね方をしているような語り口で恋や戦争やアイデンティティを語るのだから(タイムスリップしたみたいな数年間を繰り返して精神の消耗だけは妖レベルの登場人物)情念のフレッシュさも際立ってくる。まだ、ここに在るぞ!と生理的にわかってしまう情念。情念単体が体温を持ってる感じで怖い。

 

 彼女たち登場人物が語るのは「風景そのもの」だったり「どんな気持ちだったのか」とか「誰が何を言ったのか」とかといった記憶そのものだ。実際に対話で物語が進んでいくわけではないので、演じるうえで何といっても大事なのは、それを本当に見た・聞いたという疑似体験から生まれるイメージ。AB両チームともそのイメージは強く持っているのだろうなと感じられた。にもかかわらずそのイメージがより強く出力されたのはAチームだったように思う。「思っているだけでは見えない」わけだから出力要素は無視できない。会場の狭さからいって効果的な出力は表情と声なのだけれど(身体の大袈裟な動きはほとんどない)、それ以前に生理的に観客が探知するのが呼吸だ。無意識レベルにまで落とし込んだイメージであるならばなおさら、演者の呼吸が演者の脳内イメージを観客に詳らかに伝える。

 印象的だったのはAチームの始まり。水面から顔を出し酸素を取り込むようにして息をのむ少女の演出に、思わずこちらも息をのんだ。苦悶に満ちた表情とか歩行よりも先に、演者の呼吸に魅了されてしまったら観客としては心中覚悟で物語に臨まざるを得なくなる(感情移入先の俳優と観客は呼吸を共にするから)。そして実際に最後まで集中を欠かすことなく無意識のイメージを呼吸によって出力し続けることで記憶の旅に随行させる力を持っていた。

 この現象は大きな劇場でも同様なことが起こるけれど、15人サイズの小屋ではさらに際立つ。また、途切れない呼吸は一人語りから対話に代わるシーンでも継続されていたのが驚きだ。声は変わるし、立ち居振る舞いも変わるが、奥底に潜んでいる呼吸だけはいつも緊張感をはらんだような特徴的なリズムを踏んでいた。

 ちょっとわけのわからないことを書いている感じになってるけれど、簡単に音楽で言うと演じながら「途切れることなくベースが効いている」感じだった。あるいはゴーストノートが聞こえ続けている感じ。時空がないまぜになっていく今作品で、迷子になりつつも観客が遭難しないための唯一の命綱がこの呼吸やベース音だったりするのだ。そんな意味でAチームのケイを演じた女優さんは見事だった。

 

 もう一つ、Aチームに関して言うと、背の高さと声の違いが記憶の物語にメリハリをつけていたように思う。男性的にも思えるサヤのそれと、10代の少女に見えなくもないケイのそれが、「両者が違う人物である」ことを明確にしていたのが、物語の中盤での記憶の混濁を気持ちのいいものにしてくれていたようにも思える。

  Bチームはサヤとケイが同一人物に見えてしまうことがあって(それはそれで効果的ではあるけれど)意識の確信犯的な混濁を分かりにくくしてしまっていたようにも思えるのだ。これはキャスティング・演出の問題でもあると思うけれど。

  Bチームに関して印象的だったのは、この悲劇的な循環をなんとかしてほしいという強い思いが伝わってきたことだ。「もう限界」と役の願いが漏れ聞こえてきたように思えた。失なわれていく主体の叫びと祈りにも聞こえて胸が痛んだ。

 多分Aチームの記憶(イメージ)はあと100年くらい漂うけど、Bチームの記憶は近いうちに昇華されるんじゃないかな?と思った。

 

 さて、こういった作品は特に、語られる風景の解像度や画素数(面積)を上げていかないと観客がそれを補って脳みそを使う羽目になる。あんまり脳みそを使うと疲れちゃって眠くなる。両方の作品で完全に眠ることはなかったけれど、始終目が覚めっぱなしで風景を共にしたのはAチームのほうだった。半分呪われたような気分にもなったけど。Bチームとは某WSでも一緒に学んでいるので彼女たちが何を思って何を目指して俳優業に取り組んでいるのか?は半分くらいわかっているつもりだ。主体を捨てて記憶・イメージの依り代になかなければいけない今回みたいな作品は超難関。(俺にはできる気がしない!)にもかかわらず、あの作品世界に生きることが楽しいとおっしゃっていたのが心に残る。半分以上呪われてんじゃないかと思ったけど。。。!

 難しくても取り組んでいて楽しい世界。座付作家としてこれ以上にうれしい言葉はないんじゃないかと思う。

 あと、先輩作家が変態で居続けてくれることは後輩にとってはとても心強いことだ。あんま喋る機会はないけれど、「ABチームでは心の在りようや方向性がまるで違うんだよ」と仰った真意がいまだにわからないけれど、「かわいそうだから成仏させてほしい」とも思い手を合わせてしまうけれど、けど、「うわ!そっちかよ!」と呆れたり驚いたりする作品を今後もずっと作り続けてほしいと思いました。

  • 2018.12.06 Thursday
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  • 15:33
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